私たちのストーリー
1985年7月23日。
石川 二三代がこの地で開業したのが私たちのはじまりです。
二三代は末期ガンになってしまった義理の父を懸命に看病し続け、その死を目の当たりにし、その懸命な看病の疲れもあってか、自身の体の不調を感じ始め、改めて家族が健康であることの大切さを感じていきます。
そんな中、夫の定年退職(当時55歳)もあり、「このまま何もせず生きていくわけにはいかない、何か体を健やかにできることはないか」と探し始めました。
模索していると偶然、「寿酵素」という会社の 商品に出会います。
二三代は、後に重度のアレルギー性鼻炎、C型肝炎を患っていたことが判明しますが、この酵素との出会いによって体の不調が劇的に改善していきました。
次第に二三代は酵素に関わる仕事をしながらも、家族が子々孫々に健康であることを強く願うようになります。当時、実際にその酵素液をつくっている会社へ訪れ、そこで「酵素風呂」の存在を知り、燃料ではなく、微生物によってつくり出される「自然発酵熱」という点に強く惹かれ、酵素風呂を開業することを決意します。
二三代の長男・石川泰は、両親の開業が気がかりになり様子を見に行きましたが、お店の状態を目の前に「このままではすぐに潰れてしまう」と感じていました。
石川家を守らなければならないと思ったこと、両親への親孝行をしなければと思ったこと、そのような想いもあってか、お店を立て直す覚悟を決めました。泰は「酵素とは何か、発酵とは何か、微生物とは何か…」自分の中で疑問に思うことを日々追究し、突き詰めていくことで、改めて酵素や発酵という世界が生物として理にかなったものだと感じていきます。
泰の妻、石川昭子もその日々を支え、家族のため、お店のために人生を捧げてきました。そんな2人ですが、実はお店を始めた時は、酵素の世界に全く興味がありませんでした。それでもなぜ2人は今日までお店を続けられているのか…。
それは、さまざまな病気を患った方がこのお店へ通い、元気になっていく姿、中には「もう治らないのではないか」と思うような状態の方までみるみる元気になっていく…。到底考えられないお客様の姿をたくさん目の当たりにし、その不思議さに魅了されてきました。
そのような場面に何度も立ち会い、家族や自分自身も身を持って体感することで、次第に生命への畏敬の念を感じるようになった、と泰は語っています。
一方で昭子も、自分のいた世界とは真逆だったため、最初はあまりの大変さに何度も逃げ出そうとしたが、彼女も酵素の凄さを目の当たりにし、こんな真実に出会ったことがなかった、と語っています。
現在の店主である石川泰は、酵素に関する様々な分野を独学で学び、酵素風呂に使用する素材、管理方法等、試行錯誤を重ねてきました。そして探究の末に辿り着いた独自の方法で、日々大切に床(とこ)を育てています。
その探究はここで終わりではなく、これからも続いていきます。
36年間、この店とともに進化し続けた微生物たちが、毎日休むことなく、発酵・熟成を繰り返し、今日も熱を出し続けてくれています。
それは、現代の汚染物質にも負けずに進化を繰り返し、鍛えられた微生物たちが作り出してくれる、自然界からの贈り物なのです。